のの(第一校)
とーこが猫を飼いました。
保護主さんから里親さんになりました。
猫に名前はなく、番号で「c3020」とありました。
これは、とーことc3020との不思議な物語です。
とーこは猫を受け取りに行きました。
駅に着くと、驚くことに小学生くらいの男の子が子猫をむき出しで抱えていました。
「はい」
男の子は猫を渡しました。女性は猫用のバックに入れてました。
少年があっさり帰ろうとした時に、猫は「ニャ」とだけ小さく鳴きました。
きっと男の子への「ありがとう」なんだと思いました。
それから電車で2時間、家についても猫は1度も鳴きませんでした。
翌日から、猫は元気に走り回り、ニャーニャー元気に鳴きました。
とーこと猫のものがたりが始まりました。
まったくその猫は食べ物にいやしくて、生ゴミを漁るのが日課です。
そして、まんまるのお目目は、可愛すぎてちょっとおバカに見えました。
みんな言いました。「おバカなところが可愛いね」
猫は「のの」と名付けられました。
とーこにとってののはおバカなんかじゃありませんでした。
悲しい時、苦しい時、すぐに感じ取って擦り寄り、お腹をさらけ出して
「大丈夫? モフモフしていいよ」
とーこはのののお腹の毛皮をしゅーっと吸って、いつも癒されていました。
飼い主の心をののは熟知していました。
「滅私」という言葉があります。自分のことはいいから、誰かに尽くすことです。
ののは「滅私」「メッシ」、この表現がぴったりな猫でした。
とーこは心の底からののを愛しました。キスを教えました。
ののは心の底から女性を愛しました。キスを返すことを覚えました。
ふたりはいっつもキスしてました。
二人には約束がありました。
「死ぬときは一緒だよ」。
言霊ということがあるので、とーこはののに対して「死」という言葉を絶対に絶対に一度も声に出しませんでした。
とーこはこころの病気をもっていました。
ののは「知ってるニャ! 僕の毛皮を吸って、僕の健康を吸うといい」
ののは、愛くるしいお目目で女性を見つめ、
「とーこ、どこが苦しいの? ぼくだけは分かってあげるよ」
「とーこ、大丈夫?」
「とーこ、とーこ!」
と、いつも話かけてくれました。
それは、ののととーこだけの誰も知らない日々でした。
ほかの人がいるときは、「おバカさんね」と言われるけど、とーこだけには完璧に鋭い猫でした。愛し、愛され、それは濃厚な愛でした。
長い、長い時間が流れました。いろんなことがありました。とーこは結婚したり離婚したり。
ののは「まったく」と思いながら、とーこにだけあらゆる自分の力を使いました。
ののに死期が訪れました。
病院の先生は「このこはもう分かっていますよ」としか言いませんでした。
のの16歳の10月のある夜、ののはとーこの腕の中で呼吸を薄くして、だんだん、だんだん、ゆっくりと死にました。
完全に息が止まったあと、とーこの時間と空間は、不思議な世界に脱線しました。
とーこはののの首を持ち上げました。
おかしなことに、なんととーこは笑ったのです。
「くすくす」
「こわれたおもちゃみたいじゃない」
とーこはなぜかゴキゲンに鼻歌を歌いながら、ののをお風呂に入れました。
体をきれいに洗って、シャンプーだけじゃなくリンスもして、いい香り。
お風呂の中の蒸気は幸せに満ちてました。幸せのミストをとーこはたっぷり吸いました。この時間が永遠に続けばいいと思いました。
毛皮を乾かして、ブラッシングしてふわふわの毛皮に戻して、箱に入れました。箱の中には保冷剤を入れました。大好きなおやつも入れました。
「お花を入れなきゃ」。とーこはお花屋さんに行きました。
お花を選んでいると、お花屋さんのスタッフの女の子が「何用ですか?」「もしかしてお悔やみですか?」
とーこは「あ…はい…でも人間ではないので…あの、その」
女の子は「犬ですか?猫ですか?」「オスですか?メスですか?」「いくつですか?」
矢継ぎ早に聞かれました。その瞬間、とーこは泣き崩れました。自分より10歳くらい年下の女の子に抱きしめられ、わんわん泣きました。とーこは脱線していた神秘世界から戻りました。
買ったお花は、ののちゃんの元気な時のイメージのビタミンカラーのお花たち。赤、黄色、オレンジ…。
とーこは家に帰って箱にお花をたっぷり敷き詰めました。死んだののの表情はまるで笑いながら寝ているようでした。
ののは埋葬され、夜のトラックから煙が上がりました。お骨になってもののは可愛かった。
とーこは、どうしてののが死んだ時、笑ったのか、不思議で仕方ありませんでした。泣きじゃくって、「私も死ぬ!」と言い出すんじゃないかとずっと思っていました。それに「死んだ猫を抱いて鼻歌を歌っていたあの世界は何なんだ!」。でも答えは出ません。
本来なら狂ってしまいそうな愛する愛する猫が死んだのに、その後の毎日も幸せでした。
まるで柔らかいベールに包んでいられるようでした。そんな幸せでふわふわな日々が三ヶ月ほど続きました。「ずっと続くといいな」と思いましたが、さすがにだんだんベールは薄れてゆき、いつもの、ちょっとしたことで傷つく日々が戻ってきました。
それでも、ののが死んだとき、本来なら滅茶苦茶になってしまうはずの心を、ののはケアをしました。「死んだら死にっぱなしじゃない。僕の死からとーこを守るんだ」そんな感じでした。最後の力を振り絞っていたのでした。
とーことののが濃密で、深い愛に包まれていたことは、マンションの一室だけのことなので、誰も知りません。ののの不思議な力も、とーこにだけ向けられたものなので、ほかの人は全く知りません。まるでそんな愛があったのかどうか、それさえ、他に誰も知らないのだからわからないのです。
c3020はそれでよかったんです。
たくさんの人に愛されたり、撫でられたり、「いいこだね」と言われたりすることに興味がありませんでした。女性だけを愛して、愛して、愛し抜きました。
とーこもそれを分かって、ののだけを、狂おしいほどに愛し抜きました。
とーこは毎日お仕事に行くとき、お空に向かって
「おーいのの、今日もとーこ頑張るよ」と毎日話しかけています。
誰も知らない、不思議な愛の物語が世界のどこかにありました。
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